発話速度と促音の生成に関する音響音声学的研究
李敬淑(い きょんしゅく)

 本論文では、音声実験を通じて、連続的に変化する発話速度の中での促音の音響的な手がかりを明らかにした。

 第1章では、促音に関する研究の背景及び目的について述べた。
 第2章では、先行研究の概説を行い、これらの成果と問題点を論じ、その結果に基づいて具体的な研究目的及び研究計画について述べた。
促音の識別において子音の持続時間を最も重要な手がかりと考えている点では意見が一致しているが、その子音の持続時間を決める基準については意見が分かれているのである。
まず、先行研究の多くは、促音を重子音(CC)と単子音(C)の持続時間の比率として捉えてきた(Han1962a;Beckman1982;Sato1998など)。しかし、このような考え方では、促音は、常に非促音との比較で知覚されているということになる。
次に、促音の長さを語の平均モーラ長と比較するという考え方(佐藤大和1987)にも問題点がある。この考え方の根底には、日本語の個々のモーラは等時的であるというモーラ等時性が潜んでいる。促音を生成するためには、語を構成する個々のモーラの合計持続時間から平均モーラ長を求め、その平均モーラ長を基準に促音の長さが決まることになる。しかし、そのような複雑な処理を行って促音を生成したり知覚したりしているとは考えにくい。
従って、促音の生成と知覚に関する諸説のうち、閉鎖持続時間と先行音との相対的な比率で決まるという藤崎・杉藤(1977)の考え方が最も妥当であると考えられる。
しかし、藤崎・杉藤説についても疑問が残る。促音の知覚が子音長(閉鎖及び摩擦の持続時間)と「先行モーラ長」の比率なのか、それとも「先行母音長」との比率なのかが明確に記されておらず、また、これまでこの問題に対し、議論されることがなかった。

最後に、発話速度は、持続時間に大きな影響を及ぼす要因の一つであるにもかかわらず、促音と発話速度との関係を詳細に明らかにした研究は無に等しい。 そこで、本論文の目的は、先行研究の諸主張を検討するとともに、「発話速度」という要因が促音の生成にどのような影響を及ぼすかを検証し、日本語における促音の本質を明らかにすることである。

第3章と第4章では、様々な調音点・調音法を持つ促音について生成実験を行った。その詳細を述べ、結果から促音の物理的特徴と発話速度との関係を論じた。実験結果の考察をもとに本論文の研究成果を述べた。
発話速度を連続的に変化する一つの連続体として捉え、速い速度から遅い速度まで発話速度の幅を広げ、促音を生成面から分析し、促音の知覚において最も有力な説と考えられる藤崎・杉藤(1977)の主張をCVCV型の実験語を用いて検証した。
実験では、被験者5名に、調音法・調音点の異なる非促音と促音の12組の実験語を「速く」「普通に」「ゆっくりと」の3段階の発話速度で発話させた。
これまで発話速度を取り上げた多くの先行研究が、発話速度を「速い」、「普通」、「遅い」の3つのカテゴリーに分け、被験者間で平均発話速度を求め、その値を分析する方法を行ってきた。しかし、実際の発話データには、例えば「遅い」速度の発話が「普通」の速度の発話より速く発音される場合があり、「速い」、「普通」、「遅い」の3つのカテゴリー間の境界があいまいになる恐れがある。従って、本論文では、3段階の発話速度で得られた発話データを「速い」、「普通」、「遅い」の3種類の速度のカテゴリーに分類せず、発話速度を連続的に変化する一つの連続体として捉えた。
実験の結果、次のような新しい知見が得られた。
 
1)  VOTを母音部の一部分と見なすことの妥当性
Beckman(1982)は、促音の研究において、VOTを子音長に入れるのか、母音長に入れるのかを明確にすべきだと指摘している。VOTを子音部の一部、または母音部の一部に分けて分析した先行研究(Beckman 1984;Sato 1998など)も、VOTを子音部の一部、または母音部の一部のどちらにすべきかについては、結論を出していない。
しかし、本実験の結果、散布図の中の非促音と促音、それぞれのデータ分布のばらつきが、VOTを子音部と見なした場合より母音と見なした場合の方が小さいことが分かった。また、非促音と促音の分布の分かれ方も、VOTを子音部と見なす場合より母音部と見なす場合の方が、より明確に分極しているのである。従って、これらのことから「子音長対先行母音長の比」及び「子音長対先行モーラ長の比」を考える際、VOTは母音部と見なした方が妥当であると考えられる。

2) 「子音長対先行母音長の比」と「子音長対先行モーラ長の比」
藤崎・杉藤(1977)は、促音の知覚における音響的手がかりを「子音長と先行母音長(先行モーラ長)との相対的な割合」であると述べている。しかし、実際の藤崎・杉藤(1977)の記述は「先行母音長」とも「先行モーラ長」とも取れる記述であるにもかかわらず、藤崎・杉藤(1977)を援用した促音に関する先行研究では、促音の知覚は子音長と「先行母音長」との相対的な割合で決まると捉えている。そのため、本論文では、非促音・促音の弁別が「先行母音長」との相対的な割合であるのか、それとも「先行モーラ長」との相対的な割合なのかを生成実験を通して検証した。
まず、語長(発話速度)と「子音長対先行母音長の比」及び「子音長対先行モーラ長の比」との関係を表わす散布図から、「子音長対先行母音の比」及び「子音長対先行モーラ長の比」は、発話速度によって変化し、発話速度が遅くなるほど「子音長対先行母音の比」及び「子音長対先行モーラ長の比」も上がることが観測された。すなわち、相対的な比率も発話速度の変動によって変化しており、促音における「子音長対先行母音の比」及び「子音長対先行モーラ長の比」は、発話速度と比例関係にあることが分かった。
また、非促音と促音における「子音長対先行母音長の比」及び「子音長対先行モーラ長の比」の分布は、「子音長対先行母音長」に比べ、「子音長対先行モーラ長」の方がより明確に分極していることが分かった(図3.22)。
これらのことから、非促音・促音の区別は「子音長対先行母音長の比」よりは、「子音長対先行モーラ長の比」により決まると言える。つまり、促音の生成は、先行モーラの長さを基準にして、ある一定の比率以上になるように子音長を調整すると考えられる。

3) 非促音・促音の弁別と後続母音長との関係
普通の発話速度だけでなく、「速い、普通、遅い」発話速度を一つの連続体として捉え、生成実験を行った結果、発話速度が速くなるにつれ非促音と促音の「子音長対先行モーラ長の比」が近接し、重なり合う例が観察された(図3.20)。非促音と促音の生成において非促音と促音の境界が近接し、重なり合うことに関しては、普通の発話速度のみを取り上げたこれまでの先行研究では、ほとんど言及されていないことである。また、その時の促音の「子音長対先行モーラ長の比」は非促音に近い低いものである。
それでは、なぜ、促音としての十分な「子音長対先行モーラ長の比」でないにもかかわらず、促音として聞こえるのか。そこには、非促音と促音の弁別に関わる他の手がかりの存在が考えられる。
これまで、筆者の知る範囲では促音の生成において後続母音長について言及した研究はなく、促音の知覚においても後続母音長による影響はないとされてきた(平藤・渡部1987)。しかし、今回の実験の結果、先行母音及び先行モーラの場合と同様に、VOTを母音部と見なした場合、「子音長対後続母音長の比」の分布において非促音と促音が非常に明確に分極していることが分かった。
また、非促音と促音の「子音長対先行モーラ長の比」が重なり合っている場合においても、「子音長対後続母音長の比」と「子音長対先行モーラ長の比」の2つを尺度とすると、促音と非促音の分布の重なり合いが見られないことが分かった(図3.35)。つまり、促音の生成は、先行モーラの長さを基準にある一定の比率以上になるように子音長を調整すると考えられるが、同時に「子音長対後続母音長の比」もある一定の比率を維持することで、非促音・促音を区別していると考えられる。すなわち、非促音と促音を区別する音響的な手がかりとして、「子音長対先行モーラ長の比」だけではなく、「子音長対後続母音長の比」も挙げられるのである。このように音響的な手がかりが複数存在し、情報としてゆとりがあることは、毎秒20個以上の音素識別を行う必要のあることばの知覚面で非常に有用なことであると考えられており(Borden et al. 2002)、子音部に後続する母音部の持続時間という要因が、促音の知覚においても重要な手がかりになると推察できる。

4) 音素識別の手がかり(cue)と発話速度との関係
これまで、生成面での促音の研究の多くは、「普通」の発話速度での実験結果であった。連続的に変化する発話速度全体を取り上げたものはほとんどない。そのため、非促音と促音を弁別する手がかりが発話速度の変化の中でどのような動きをするのか、明らかにされていなかったのである。
一連の発話速度の変化の中で、促音は、発話速度が遅くなるにつれ、「子音長対先行モーラ長の比」が高くなり、比率の変化幅も大きいのに対し、非促音は、「子音長対先行モーラ長の比」の変動幅が非常に厳しく制限されていることが分かった(図3.14~図3.18)。すなわち、発話速度が遅くなるにつれ、非促音と促音の区別がより明確になっており、促音より非促音の方がより厳しく「子音長対先行モーラ長の比」の制限を受けていると解釈できる。

本論文で取り上げた非促音と促音の研究は、日本語の音韻論「長短」の問題と密接に関わっていると考えられる。本論文で得られた新しい知見を、日本語の母音の長短及び撥音の問題に発展させていき、特殊モーラ全体に一般化できるか検証していきたい。