要旨

本稿は、アフガニスタンにおける武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)の事例をもとに、戦闘員のリクルートが民族的アイデンティティに根ざしたものであることを説明することで、DDRプロセスの決定要因を提示する。これまでの研究は、民族的アイデンティティによってリクルートすることがDDRプロセスに影響を与えることに、あまり注意を払ってこなかった。アフガニスタンにおけるDDRプロセスで注目すべきケースは 暴力的過激主義だが、これは、「テロとの戦い」に向けた対外政策戦略と、DDRイニシアチブを実施する国内的受容性の両方において、一連の事態の転換を示すものである。この転機は、ラテンアメリカ、アジア、アフリカ諸国など、さまざまな地域に足跡を残した第3世代のDDRの進化を限定的に見ていくことで明らかになる。本稿では社会的アイデンティティ理論を用いて、主に、民族武装組織が、民族的アイデンティティを集団メンバーのリクルートのためにどの程度利用し、敵意を煽り、その結果 集団間紛争が起こっているということを説明しようとするものである。このような民族的アイデンティティは、コロンビアでも見られたように、絶え間なく民族紛争を助長するため、しばしばDDRプロセスの成功を妨げる。