グリム兄弟が編纂した『子どもと家庭のための昔話集』の初版が刊行されたのは1812年だった。その後彼らは昔話に手を加えながら、1857年の第七版まで版を重ねた。この彼らの加筆に関しては、これまで様々な研究が行われてきた。
その中で、後の版になるに従い登場人物は敬虔になり、昔話にはキリスト教的な価値観がより浸透しているという指摘がなされることがある。確かに最終版では神という語が使用される頻度が増しているだけでなく、昔話の中に神が登場人物として現れる機会も少なくない。しかしながら詳しく考察してみると、そこに登場する神の姿には、実際はキリスト教の神らしさはさほど備わっていないのである。
これは、グリム兄弟が昔話を太古の神話に溯るものと捉えていたことと関係していると考えられる。昔話は伝承される過程でキリスト教の衣を纏うようになったものの、それは神話の残滓であると彼らは考えていたのである。そして昔話等を集めることで、ドイツでは失われたものと見なされていた神話の再構築を目指したのであった。つまり彼らは、昔話の神の中に異教の神々の姿の名残りを見い出していたのである。
本稿では、『昔話集』に対してグリム兄弟自身が記した注釈や『ドイツ神話学』の記述などを参考にし、彼らが具体的には昔話のどのようなところに神話の名残りを見い出し、『昔話集』における神の話を根源的には異教のどの神のものと見なしていたのか、ということを探究した。
今日では、グリム兄弟のように昔話をゲルマン神話の残滓と捉える見解には、議論の余地もあるだろう。しかし『昔話集』の中の神の像は、グリム兄弟の神に対する概念が『昔話集』の編纂にも影響を与えたことを物語っている。それはさらに彼ら独自の「語り」を生み出す一因ともなっていると言えるだろう。