文学作品は社会の価値を反映する。エイブラムス(1981:178)によると、文学は社会の生活を反映している。インドネシア文学を研究しているオランダ人であるテーウ(1984:100)によれば、文学作品は言語的、文化的、文学的なルールを参照して書かれている。しかしながら、文学作品の翻訳の中には原作と翻訳それぞれこれらの三つの要素が異なっているため、幾つかの問題が生じる。例えば、日本文学では「季語」がよく使用されている。日本人の読者であれば、時間の設定がはっきり書かれていなくても、季語から理解できる。しかし、この季語は読者の文化にない場合は、季語を簡単に理解できない。作品が翻訳されるということは、作品の言語が異なる言語に変換されるというだけではなく、作品が異なるルールをもつ社会の中に持ち込まれるという点が重要である。
したがって、翻訳者は2つの社会(Source LanguageとTarget Language)のルールを十分に理解したうえで翻訳をする必要がある。しかし、このことは現実には大変に困難である。なぜなら、2つの異なる社会に同時にnativeであることは、nativeの定義上、困難だから。
本稿では、川端康成原作『雪国』の2つのインドネシア語訳、1972年刊行のNegeri Salju(重訳)と1985年刊行のDaerah Salju(共訳型の直訳)を取り上げる。本稿では文学の視点から、翻訳のプロセスはどのようにストーリー要素に影響を及ぼすのかを明らかにしようと試みる。具体的には、プロットと登場人物描写と背景というストーリーの要素を分析する。
本稿の分析から、小説の翻訳は話の要素に影響をもたらしたことが明らかになった。まず、登場人物の描写が逆の意味になったり、年齢に関する訳が一年間違ったりした。次に場所が違ったり、時間の言い方も違ったりした。さらに、メインプロットは同じであるが、形式の分け方が違ってきたことが明らかになった。直訳にも重訳にも様々な問題が生じる。重訳では英語版に頼って訳されたので、英語版で誤訳があれば、同じく誤訳になってしまう。
ストーリー要素は物語を解釈する手段として重要である。よって、上記のようにストーリー要素が間違って翻訳されると、小説の解釈にも影響を与えると言えるであろう。日本語からインドネシア語に小説を翻訳する時には、解決方法として、重訳であってもかまわないのでインドネシア語への翻訳や、英語などの第三の言語への翻訳がすでにあるのであれば、それを参照しつつ、直訳することが適切であり、かつ、その場合でも、インドネシア語に習熟した日本人の協力を得ることが適切である。

キーワード:直訳、重訳、ストーリー要素の解釈