神話作用とお茶

クリステン・スーラック

キーワード:茶道、ナショナリズム、日本人性、文化


本稿では、ロラン・バルトの神話作用をめぐる議論を出発点とし、物・その取り合わせ・その所作のなかでの使用が、論争的状況をバルトによる「脱政治化」し中立化させる神話を呼び覚ますさまを検討する。とりあげるのは靖国神社での公開の茶会であり、茶芸における物の取り合わせはいかにして、「アジア普遍主義」を掲げた日帝侵略という史的汚点を正当化するようなテーマを喚起するのか。バルトは物・所作・テクストが神話のシニフィエとして作用する場合、それが単独として現れるのか、あるいは全体として現れるのかを明確に区別していない。本稿ではとりわけ、個物に付与された意味が、諸物の集合体としての意味と結びつき、論争をはらんだ状況を脱政治化する神話を賦活するさまに焦点をあてる。

茶会において、個々の道具、それらの全体としての組み合わせと茶室内でのあしらい方のすべては、靖国にまつわる 2 つのテーマを表現するために召喚され、茶道をつうじて微妙な分岐をはらんだ世界平和の訴えを表現している。神殿とその創建の詩への即物的な参照は、個々の物から読みとることができる。神主の烏帽子にちなんで名づけられた水指、神社外観の図が描かれた茶碗、天皇の詩でも用いられた「武蔵野」の名で知られる草上に浮かぶ月の絵柄の茶入れ、そして

「即今(いまここ)」と名づけられた茶杓は、靖国という場所それ自体へと注意を向かわせる。 靖国の物議をかもす歴史は、神社が「平和的」意図にもとづいて創建されたこと、茶道の普及

をつうじてその価値が世界中に広まったことを強調する語りによって周縁化される。より抽象的なこのテーマは、より間接的に、物の空間的なあしらい方をつうじて表現される。アジア由来の多くの茶道具が茶道の所作にくみこまれているが、いずれの道具も独自の歴史をひかえながら、茶道の基準にもとづき選ばれたものである。たとえば7 世紀以上前に作られた韓国の黄色い器は、本来の乾物入れとしてではなく水指として使われる。茶器になることでその来歴は抹消されつつ、茶会という文脈のなかで意味と目的が与えられ、壺としての起源と美的形式が決定的特徴として引き出される。お点前の工程のなかにアジア由来の工芸品が配されているほかに、茶の前に賞味されるお菓子用のお菓子器をつうじてもアジアから世界への普及が表現される。主賓は 6 世紀前に中国から交易品として贈られた茶碗でもてなされる一方、他の来賓は世界各国の器で遇される。無作為に選ばれたものではなく、茶道協会が精力的に活動するアメリカ、メキシコ、イタリアなどの国々からのものである。

靖国神社(茶室における茶道具個々の名や図柄から読みとられる)と、世界平和の表現としてのアジア発の茶道の普及(集合体としての物の取り合わせと茶室全体におけるそれら物の物理的な散種)という 2 つのテーマゆえに、同茶会は通常の茶会よりもいくぶん複雑な構造をそなえたものとなっている。両テーマが重なりあうことで、靖国をめぐる論争は沈静化され、バルトのいう神話作用によってシニフィアンとシニフィエの関係が脱政治化され「無垢」なものになる。このことが参加者の認識を変えたかどうか判断するのは難しいが、その反応とは符号する。茶器を通じた平和のテーマと靖国についてどう思うかと尋ねたところ、ほぼ全員が、物議をかもすその歴史をみとめつつも、唱えられている平和的創建の優位を答えたのである。


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