子どもの本の歴史を文学史としてよりも文化史の一部として考える場合には,そのテクストの内容ばかりでなく,「本」としての物質的要素や商品としての要素を考える必要がある.小論は,この立場から本来大人のために書かれた小説であった『ロビンソン・クルーソー』が子どもの本として受け入れられるようになる過程を検討したものである.この過程には,さまざまなダイジェスト版の存在が不可欠であり,なかでもチャップブックと呼ばれる民衆のための印刷物が大きく関与していると考えられる.チャップブックは必ずしも子どもの「ために」出版されたものではなかったが,またむしろいわゆる「エリート文化」の認めるものではなかったにも関わらず,読み手である子どもたちからは,階級を問わず広く受け入れられたものであり,『ロビンソン・クルーソー』がチャップブック版で出版されたということは,イコール子どもを読者として持つことになることを意味したからである.
しかし,このことは必ずしもこの小説が大人の文化の中で,子どもにふさわしい読み物として認められることを意味せず,現在分かる限りの史料からは,おそらく,読み手にとっての子ども版『ロビンソン・クルーソー』(=チャップブック版)の誕生から,作り手にとってのそれ(=エリート文化の中で認められ得る出版業者によって出版された『ロビンソン・クルーソー』)の誕生まで半世紀ほどを要したと考えられる.
このような変化の原因としては,この小説が当初から非常に売れ行きが良かったためにさまざまな短縮版・縮刷版や海賊版などの出版を招いたということに加えて,子どもの本という産業が有望であると思われるようになったということなどの商業的・経済的要因が強く働いていたことは間違いないが,それとともに識字率の増大に伴う読者層の拡大,読書という体験が意味することの変化なども考えられる.