魔法使いの国の掟-リオデジャネイロの詩と時
福嶋 伸洋
本論は、二〇世紀ブラジルの、いずれもリオデジャネイロで活動した四人の詩人、マヌエル・バンディラ、カルロス・ドゥルモン・ヂ・アンドラーヂ、ヴィニシウス・ヂ・モライス、セシリア・メイレーリスの作品において、<時>がどのように現れているのかを明らかにすることを目指している。その際、扱われる概念が、哲学や小説を含む西洋近代の思考において、どのような経歴をたどってきたのかも同時に考察される。
第一章では、ブラジルのモダニズム全体に大きな影響を与えた詩人マヌエル・バンデイラにおける<幼年時代>を扱っている。このテーマを二〇世紀でもっとも深く掘り下げた書き手のひとりが、疑いなく、長篇小説『失われた時を求めて』で<無意志的記憶>の概念を練り上げたプルーストだった。とはいえ幼年時代は、決してプルーストひとりのものではなく、ボードレールやリルケといった近代以降の詩人たちにとっても、重要な位置を占めていたものである。プルーストの新しさとは、意のままになるものではない、忘却から恩寵のように浮かびあがってくる幼年時代を捉えたことにある。また、幼年時代は、語源的に、「言葉を用いることのできないもの」という意味を持ち、実際にヘルダーリンやフェルナンド・ペソーアの詩においてはそのように描かれている。そのために詩は、永遠にたどり着くことのできない目的地として、幼年時代へと向かい続けるのである。バンデイラはその詩のなかで、取り戻すことのできないはずの幼年時代(の偽物)を魔法のように現出させるが、ノヴァーリスが言っていたように、もっとも偉大な魔法使いとは、自らを欺くことのできる魔法使いに他ならない。
第二章では、女性詩人セシリア・メイレーリスの作品における、儚いものと永遠のものの結び付きに着目している。対極にあるはずのこれら二つのカテゴリーは、たとえば写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの作品に見られるように、しばしば一体となったものとして現れている。これら二つの結び付きは、古典主義にも見られるものだったが、そのあり方は、ロマン主義以後、変化をこうむっている。シェイクスピアなどにおいて詩は一瞬を永遠にするものと見られていた一方、キーツはそのような力に懐疑を抱いた。ボードレールは、うつろいやすいものと永遠のものの結び付きにこそ美があると考え、ソネット《過ぎ去る女に》でそれを演じてみせた。ベンヤミンは「最後のひと目による恋」と彼が名付けたこのボードレールの考えに近代の徴を見たが、プルーストはそれ以前にこの美学的な作用を余すところなく描いていた。セシリア・メイレーリスの詩は、この系譜に連なりながら、詩人をほとんど「過ぎ去る女」と呼ぶべきものとして示していた。
第三章では、ボサノヴァの詩人として名高いヴィニシウス・ヂ・モライスの作品におけるカーニヴァルを扱う。喜びのみに彩られたものとして想像されるカーニヴァルは、ブラジルの文脈においては実際には、マヌエル・バンデイラの詩やヴィック・ムニーズの作品に鋭く見られるように、悲しみと切り離せないものとして現れてきた。その理由のひとつはおそらく、チェーザレ・パヴェーゼやプルーストの小説が仄めかしたように、祭りのなかにあっては祭りについて語ることはできず、祭りについてはそのあとに憂愁とともにしか語られえない、ということである。祝祭をめぐる思索の歴史において、おそらくもっとも重要なのはニーチェからバフチンに至る系譜であり、「ディオニュソス的なもの」はバフチンの文学論に確実に受け継がれている。ハイデッガーもまたニーチェから「祝祭的なもの」を継承し、祭りに先立つ時としての祭りや、喜びと悲しみのひとつの源としての祭りの概念を練り上げた。ヴィニシウスの詩は、同様に明らかにニーチェの哲学を意識しながら、ブラジルのカーニヴァルを祝祭の思想史に位置づけるものである。
第四章では、ふたたびマヌエル・バンデイラを取り上げ、その作品における幽霊の主題を追求する。プルーストやボルヘスは、芸術作品を、芸術家が自らの死によって生き存える方法と考えていた。生きながら死を先取りするということは、ハイデッガーの主著『存在と時間』のなかでくわしく分析されていた現存在の様態である。アガンベンはハイデッガーの批判的吟味から、言語が死によって可能になるものであることを説いていた。ブランショもまた、言葉が、存在を無にすることによって初めて意味を持つ、という点において、死の能力こそが言語の条件であると主張していた。それゆえ、言語はそもそも幽霊的なものである。死者として詩を書く、という発想をくり返したバンデイラの詩も、このような幽霊の概念によって読み解くことができる。芸術作品の「生き残り」について、晩年の詩人は懐疑を抱いていた。失われゆく芸術作品=幽霊を救い出すことは、批評家の使命であるだろう。
第五章では、カルロス・ドゥルモン・ヂ・アンドラーヂの作品と、おもにプルーストにおける「失われた時」や歴史、記憶といった概念を、アウシュヴィッツについての議論を参照枠としながら検討する。メルヴィルの小説『白鯨』を批判して、当時の書評は、証人のいない事件を書いてはならないと主張した。惨劇を生き延びた者の形象は、ボルヘスのある散文詩に見られるように、西洋文学において詩作そのものの象徴となってきた。ところが、二十世紀を代表する小説のひとつ、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』においては、まさに証人を残さずに滅びた村の歴史が書かれている。アウシュヴィッツの周囲に巻き起こった議論は、まさにこの点をめぐるものである。そこで取られた戦略とは、証言すべき声をあらかじめ奪っておくというものだった。アガンベンはプリーモ・レーヴィらに依りながら、その二重の証言不可能性について語っていた。二十世紀からあとの詩はそれゆえ、自らが記憶から取りこぼしているかもしれないものについての不安につねに苛まれている。このような証言のないものの記憶についての思考を、ベンヤミンは、おそらくプルーストの<無意志的記憶>を参照しつつ、すでに二十年代に練り上げていた。忘却されたものへのまなざしを維持し続けたドゥルモンもまた、同じ問題意識を、自らもその訳者となったプルーストから引き継いだのかもしれない。彼らがともに追い求めていたのは、形として残る過去の背後に広がる、<見出されぬ時>という無限である。
第六章では、ふたたびセシリア・メイレーリスを取り上げ、その作品に現れる人魚の形象に着目する。アンデルセンのおとぎ話で、足と引き換えに声を失い、けっきょくは王子の愛を得ることもできなかった人魚姫の最大の悲劇は、その失恋なのではなく、その災いについて語ることができない、ということである。とすれば、ホメロスが描いたセイレーンたちは、アンデルセンの人魚姫の先祖ではなく、子孫であるために、かつて自分たちの種族に不実を働いた人間たちに復讐をしているのかもしれない。だとすれば、カフカが描いたオデュッセウスはさらに狡猾である。彼は、声を奪われたために歌よりも強力な武器である沈黙をかざすセイレーンたちに、鎖とロウの効果を信じる振りを続けることで、身を守り抜いたのである。難船があったような気配があり、人魚の気配もあるが、真相は海の泡が隠すままである、という状景をマラルメのあるソネットは描いているが、この詩が仄めかすのは、悲劇はそれが純粋な悲劇であればあるほど、証人を持つ可能性が少なくなる、ということである。セシリアの人魚も、そのことを知っていたために、次のような言葉を言うことができた。「この生の悲しみとは/話すことができないということ。/言われた、聞かれた言葉は/空気の上の空気でしかないということ……」。