モンゴル語のモダリティ : コーパスに基づく記述的研究
ジンガン
本論文では、モンゴル語のモダリティを体系的に記述することを目的とし、ムード、モーダルな接辞、モダリティ、終助詞といった四つのカテゴリーに分けて記述を行った。モンゴル語研究の中で、モダリティを体系的に記述する動きは1990年代初期までそれほど顕著ではなく、形態論的手法によるムードの記述にとどまっていた。1990年後半から、ようやくモンゴル語のモダリティを体系的に扱おうと試みた研究があらわれた。たとえば、Mönx-amgalan(1995,1998)が一例として挙げられる。
しかしながら、Mönx-amgalan(1995,1998)は意味優先型の研究であり、設定された意味カテゴリーに異なるレベルのモーダルな要素が区別なく分類される傾向がある。従って、その記述は厳密な意味で体系的とは言い難い。これに対して本研究はコーパスに基づき、モダリティ形式の使用頻度を始めとして、形式間の接続関係、各形式の共起関係などを重視し、モダリティ形式とその意味・機能の対応関係の中で体系的記述を試みた。
本論文の概略、および明らかになった点を述べると以下のとおりである。
まず、本論文の第一章では、通言語学的な観点からモダリティという概念やその分類を確認し、続く第二章では、モンゴル語のモダリティの先行研究を紹介した。
次に、本論文の第三章では、文の終止形となりうる屈折語尾によるモーダルな意味をムードと名付け、その形式を「対人的ムード」と「対事的ムード」の二つに分けた。この分類は基本的にそれぞれ、従来の研究における「命令-希求法」と「叙述法」に相当する。
従来の研究では、「対人的ムード」は人称と関わりがあり、「対事的ムード」はテンスと関わりがある、とされていた。しかし、モンゴル語における「対人的ムード」を示す諸形式の人称制限や意味・機能の説明は先行研究によってさまざまであり、未だに一致した見解が見られない。本論文では、コーパスから収集した大量の実例を基に、「対人的ムード」の諸形式と人称との呼応関係を考察した。それに加えて、引用節における「対人的ムード」の諸形式と引用節補語との共起関係から、それらの形式の意味範囲を定めるという方法で記述を行った。さらに、従来の研究において分類の基本となる人称との呼応関係に、思考内容化、否定形式との共起関係といった別の分類ファクターを加え、この三つのファクターの相互関係の中で「対人的ムード」の諸形式を位置付けた。本論文で言う思考内容化とは、引用節geǰ bod-(と思う)のスコープ内に収まるか否か、という文法性テストを用いて、コーパスからの実例に基づいて客観的に判定できる。
「対事的ムード」の諸形式は従来の研究において、テンスとして、あるいはテンス的機能を中心として記述されてきた。しかし、従来の研究で「過去テンス」と言われてきたもの、すなわち、-laa、-ǰee、-vをテンスの観点から記述するだけでは、それらの多様な用法を説明するには困難であることが近年の多くの研究で指摘されている。本論文では、それらの形式の多様な用法は、それぞれの形式のモーダルな意味によるものであると仮定して、その多様な意味の内面的繋がりを探ることにより包括的に説明することを試みた。
具体的に言えば、-laaには「確実性」、-ǰeeには「結果性」、-vには「(無色の)完了」という、それぞれのモーダルな意味素性がある上、話し手が事態の確実な一面を取り立てて述べるか、それとも結果的な一面を取り立てて述べるか、あるいは単純に完了した出来事として述べるかといった述べ方によってそれらが選択されていると解釈した。さらに、-laaが表す「確実性」、-ǰeeが表す「結果性」、-vが表す「(無色の)完了」は、「完了」という上位概念に包括されると考えた。このように解釈すれば、これらの形式が過去テンスとしても機能しうることを矛盾なく説明できる。
本論文の第四章では、モンゴル語のモーダルな接辞について記述した。モーダルな接辞は、モーダルな意味を示す動詞の屈折語尾であり、ムード形式と類似するが、文の終止形としての義務的なカテゴリーではない点でムード形式と異なる。本論文では、モンゴル語のモーダルな接辞のうち代表的なものとして、-maarと-uuštaiの意味・用法を記述した。-maarは基本的に話し手の「望み」を示すが、コーパスからの実例を観察すると、その外延は広く、事態における「兆侯」、事態の「本来的性質、理想像との照合」などの意味を表すことができる。一方、-uuštaiは基本的に「当該動作・行為への当為的評価」を表すことがコーパスからの実例で確認することができた。さらに、本論文では、先行研究において、この両形式と共に扱われる形式-xuicについても考察を行った。-xuicは、従来の研究では、主に「程度」、「可能性」を示すと記述されてきたが、本論文ではコーパスからの多くの実例を分析することによって、-xuicは、主に「動作・行為の変化の程度が十分に知覚されること」を表すと訂正した。しかしながら、-xuicは上で述べた-maarや-uuštaiとは異なり、文の終止形として使われた実例は本コーパスにおいて見当たらなかった。そのため、本論文ではそれをモーダルな接辞として認めないという立場を取り、意味・用法を記述するに留めた。
本論文の第五章と第六章では、モンゴル語の助動詞によるモーダルな意味を記述した。
まず第五章では、モンゴル語のモダリティを大きく、「認識のモダリティ」、「束縛的モダリティ」、「力動的モダリティ」の三つのカテゴリーに分けた。「認識のモダリティ」の中では、「判断のモダリティ」と「証拠性のモダリティ」の二つの下位カテゴリーを認め、それぞれの代表的な形式の意味・用法を記述した。さらに、「判断のモダリティ」と「証拠性のモダリティ」の間の相違についても議論した。
次に第六章では、「束縛的モダリティ」と「力動的モダリティ」について論じた。モンゴル語における「束縛的モダリティ」と「力動的モダリティ」の諸形式は多義的であり、同一形式が異なる意味カテゴリーに跨る。本論文では、モンゴル語の「束縛的モダリティ」の代表的な形式として、yostoi、xeregtei、učirtai、bailtaiなどの意味・用法を記述した。これらの形式は、当該事態の行為者の人称とそれらが持つ本来の語彙的意味により、「認識的必然性」と「束縛的必然性」との間で分化することが明らかとなった。
モンゴル語における、「力動的モダリティ」の代表的な形式はčad-とbol-であり、両形式は基本的に「可能」を示す。そのうち、čad-は主に「能力可能」から「状況可能」までの、話し手の内的要因による「可能」な状態を示し、「力動的モダリティ」の中核をなすが、一方、bol-は、「可能」から「義務」までの、外的・社会的な束縛的力による「可能」な状態を示し、「束縛的モダリティ」にまで広がることがコーパスからの実例分析によって明らかとなった。
さらに、本論文では、「束縛的モダリティ」の下位タイプとして「評価のモダリティ」形式taamaについて論じた。taarnaにも多義性があり、副動詞形-val/-balに後続する際、話し手の「評価」を表し、副動詞形-ǰに後続する際、「必然性判断のモダリティ」の意味範囲に移りこむ。さらに、否定表現の場合は、-ǰ taarnaと-val/-bal taarnaは-ǰ taaraxgüiに包括され、「理屈の非存在」と「反規範・非妥当」といった意味を表わすことが明らかとなった。
以上で述べたように、モンゴル語のモダリティ形式の多くは多義的であり、同一形式が異なる意味カテゴリーに分化するという特徴がある。これはPalmer(2001)などでも言われているように、多くのヨーロッパ諸言語にも見られる特徴であり、言語本来の姿と言えよう。
本論文の最終章、すなわち、第七章では、モンゴル語の終助詞の意味・機能を記述した。終助詞はムードやモダリティのように、文の意味に大きく関与するものではないが、話し手と客観世界の関係、そして話し手と聞き手との関係から、終助詞は副次的に加えられる意味要素である。
従来のモンゴル語の研究において、終助詞は正確に定義されておらず、「不変化詞」といった品詞類に入れられ、厳密な区別もなく扱われてきた。本論文では、モダリティの定義の延長線上に、文の述部のみに出現し、文を終了させる力のあるもののみを「終助詞」として定義した。この定義を基に、「終助詞」として認められる幾つかの形式の意味・用法、承接順序を記述し、その階層関係を明らかにした。さらに、これらの終助詞の機能的側面に注目すれば、「真偽判断」、「説明叙述」、「情報伝達」、および「妥当化」と言った四つの段階に分布していると考えることができることを述べた。
本研究を総括すれば、これまで先行研究で述べられてきたことを本研究はコーパスから抽出した大量の実例で検証したものであると言える。実際に使われている生きた例文を用いて客観的に検証したことに最大の意義があると考える。