無生物3格二重目的語構文-「生物3格」を含む二重目的語構文と対比しつつ-
伊藤(時田)伊津子
1 研究対象,目的
本研究の分析対象は,ドイツ語の,生物ではなく,事物を表す3格(以下「無生物3格」と呼ぶ)を含む二重目的語構文である。
研究目的は,これまでの二重目的語構文に関する研究成果をふまえ,「無生物3格」のみと共起する二重目的語構文(以下,「無生物3格二重目的語構文」と呼ぶ)の持つ形態的・情報的・統語的特性を,コーパス分析の一つの方法論的モデルとして,主に頻度の観点から調査・分析し,これらの諸特性が動詞の意味タイプ,より詳しく言えば,文意味タイプに基づくことを示すことである。さらに言えば,このことにより,「無生物3格二重目的語構文」の全体像を明らかにすることを目的とする。
「二重目的語構文」とは,例文(1)や(2)のように,3格目的語と4格目的語を共に含む他動詞構文を指す。また,例文(1)のseiner Freundin「ガールフレンド」のような3格を「生物3格」と呼び,例文(2)のder Suppe「スープ」やder Gefahr「危険」のような3格を「無生物3格」と呼ぶ。
(1) Er schenkt seiner Freundin einen Ring.
彼はガールフレンドに指輪を送る
(2) a. Sie fugte der Suppe etwas Salz bei.
彼女はスープに少しの塩を加えた
b. Er setzt seinen Freund der Gefahr aus.
彼は友人を危険にさらす
本研究が「無生物3格」という点に焦点を合わせて,二重目的語構文を調査・分析するのは,生物,無生物という意味特性が二重目的語構文の特性とある種の関連性を持つと指摘されながらも,従来の研究では,主な分析対象である「生物3格」に対し,「無生物3格」は例外として扱われるに過ぎなかったり,「生物3格」と「無生物3格」の事例を明確に区別しないまま分析が行われてきたりしたためである。
2 方法論
本研究における方法論の第一の特徴は,「無生物3格二重目的語構文」について,この構文を形成する動詞を可能な限り網羅的に収集し,調査・分析するということである。従来の研究では,いくつかの典型的な動詞が取り上げられ,それに基づき,理論的な分析・考察が行われてきた。それに対し,本研究では,明確な手順に従って当該動詞を収集し,具体的かつ個別的に調査・記述,そして分析・考察を行う。
第二の特徴は,コーパスを用いて,「無生物3格二重目的語構文」の言語使用データを可能な限り幅広く収集し,具体的な事例を個別的に調査・分析することである。現在,言語研究の方法論上の大きな変化の一つは,電子コーパスを利用し,大量のデータを収集・調査することが可能になったことである。今日,電子コーパスを用いた方法論の確立が必要とされていると考えられるが,本研究はその一つの試みでもある。
第三の特徴は,電子コーパスを利用して,問題になる現象の使用頻度を調査・分析するということである。本研究では,「無生物3格二重目的語構文」を対象に,3格と4格の代名詞化,定性(指示物が特定のものか否か),中域語順などの特性に関し,頻度的傾向を動詞ごとに調査・分析する。言語研究にとって,具体的な言語現象の背後にある規則体系の抽出が重要な課題であることには変わりはないが,もう一つの,言語研究の重要な課題は,実際の言語使用の実態を把握することである。言語使用では,ある言語形式が使用されるか否かではなく,それがどのような頻度で使用されるかが重要な問題になる。
なお,本研究の目的に必要なデータが,電子コーパスからすべて十分な形で収集できるわけではない。このような場合には,補完的な方法として,インフォーマントテストを行い,必要なデータを収集した。
3 本論文の構成と各章のまとめ
第2章では,二重目的語構文に関するものに限定し,先行研究の成果,知見などをまとめる。第2節で「有生性」に関する研究を,第3節で「人称代名詞化」,「定性」に関する研究を,第4節で「3格と4格の中域語順」に関する研究を,第5節で「動詞との構造的関係」に関する研究をまとめる。
先行研究を概観し,以下の点を確認した。
①≪有生性≫二重目的語構文の3格は典型的な用法としては生物を表す。「無生物3格」は例外的な用法として見なされている。
②≪定性≫「生物3格」は人称代名詞,定の要素として実現する傾向にある。しかし,「無生物3格」については,特徴が明らかにされていない。
③≪語順≫「生物3格」の場合,「3格-4格」語順が基本的もしくは無標であるとされる一方,「無生物3格」の事例に関しては,まだ十分な研究がなされていない。
④≪動詞との構造的関係≫二重目的語構文の3格に,「無生物3格」の事例を考慮して,構造格(結び付きの弱いもの)と語彙格(結び付きの強いもの)の2種類が想定されている。
第3章では,実際のテキストを取り上げ,二重目的語構文における「無生物3格」の使用頻度を調査し,その結果を示す。目的は,この構文における「無生物3格」が例外的な用法なのか,また実際はどの程度の割合で用いられているのかに関して,一定の結論を出すためである。結論として,「生物3格」と「無生物3格」の頻度が異なることを示し,「無生物3格」が一定の頻度で使用されていることを統計的に示した。
第4章では,「無生物3格二重目的語構文」に関する事例をコーパスから収集し,調査・分析した結果を示す。
第2節では,「無生物3格二重目的語構文」の事例をどのように収集したかについて述べる。
第3節では,これらの事例を,どのような視点から調査・分析するかを述べる。主なポイントは(A)人称代名詞化(人称代名詞を用いるか否か),(B)定性(指示物が特定されるものか否か),(C)中域語順(「3格-4格」語順か,「4格-3格」語順か),(D)動詞との構造的関係(3格と4格のどちらが動詞と構造的に近い関係にあるか)である。
人称代名詞化に関する調査・分析の目的は,3格と4格(受動1格)が,人称代名詞化に関してどのような傾向を示すかを明らかにすることである。定性に関する調査・分析の目的は,3格と4格(受動1格)が,定性に関してどのような傾向を示すかを明らかにすることである。中域語順に関する調査・分析の目的は,当該の動詞において,どのような語順が,頻度から見て「基本的な」語順であるかを明らかにすることである。動詞との構造的関係に関する調査・分析の目的は,それぞれの動詞において,3格および4格(受動1格)と動詞との構造的関係を明らかにし,3格と4格(受動1格)の中域語順との関連性を明らかにすることである。
第4節では,前節で述べた分析の視点に基づいて行った分析結果を,動詞ごとに示す。また,一部インフォーマントテストの結果も示す。そして,最後の第4節では,人称代名詞化,定性,語順におけるそれぞれの傾向を,動詞を通して眺め,これらの特性と動詞の意味,より正確に言えば,動詞の意味タイプ(詳しく言えば,文意味タイプ)との関係を分析した結果を示す。
第5節では,人称代名詞化,定性,中域語順などにおける頻度的傾向を動詞をとおして眺め,これらの特性と,動詞の意味タイプとの関係を分析・考察した結果を示す。
結論としては,類似した傾向を示す動詞群は4つの意味タイプに分類できる。
「追加関係」の動詞abgewinnen, anfugen, beifugen, beimengen, beimessen, beimischenは,3格の表す対象に4格の表す対象をその一部として「追加」するという文意味を形成し,以下のような特性を示す。
①〔代名詞化〕3格も4格も,人称代名詞ではなく,名詞的語類である頻度が高い。
②〔定性〕3格の場合,定の要素の頻度が,4格の場合,不定の要素頻度が高い。
③〔中域語順〕基本語順は,「3格-4格」語順である。
「対比関係」の動詞gegenuberstellen, voranstellen, entgegensetzenは,3格の表す対象に4格の表す対象を「対比」するという文意味を形成し,以下のような特性を示す。
①〔代名詞化〕3絡も4格も,人称代名詞ではなく,名詞的語類である頻度が高い。
②〔定性〕3格の場合,定の要素の頻度が高く,4格の場合,定の要素,不定の要素の頻度はほぼ半数ずつである。
③〔中域語順〕基本語順は,「追加関係」の場合ほど明確ではないが,「3格-4格」語順である。
「所属関係」の動詞angliedern, zuordnen, zurechnenは, 4格の表す対象を3格の表す対象に「所属」させるという文意味を形成し,以下のような特性を示す。
①〔代名詞化〕3格も4格も,人称代名詞ではなく,名詞的語類である頻度が高い。
②〔定性〕3格も4格も定の要素の頻度が高い。③〔中域語順〕基本語順は,「支配下関係」の場合ほど明確ではないが,「4格-3格」語順である。
「支配下関係」の動詞ausliefern, aussetzen, entringen, uberlassen, unterwerfen, unterziehen, ver-schliesen, verschreibenは, 4格の表す対象を3格の表す対象の「支配下」に置くという文意味を形成し,以下のような特性を示す。
①〔代名詞化〕3格も4格も,人称代名詞ではなく,名詞的語類である頻度が高い。なお,4格における再帰代名詞の頻度が高い。
②〔定性〕3格も4格も定の要素の頻度が高いが,3格が不定の要素である動詞もある。
③〔中域語順〕基本語順は,「4格-3格」語順である。
第5章では,本研究における「無生物3格二重目的語構文」の分析結果をまとめた後,本研究での方法論的特徴を述べ,最後に,二重目的語構文の全体像を明らかにするという目的のために残された今後の具体的な研究課題について,具体的には,「生物3格」と「無生物3格」が競合する二重目的語構文および「生物3格」のみが現れる二重目的語構文に関し,本研究での方法論を用いた分析について述べる。