マレーシアにおける国民的「主体」形成-地域研究批判序説-
東京外国語大学大学院地域文化研究科
井口由布
本論文は、現在の≪マレーシア研究≫において批判や擁護を呼びこみつつもあいかわらず強力な視点としてくりかえされる「マレーシア=プルーラル・ソサエティ」という国民国家イメージの形成過程を歴史的にたどることによって、マレーシアにおける国民的「主体」形成を≪植民政策学≫と≪地域研究≫という学問分野の成立過程とのかかわりで論じるものである。
このような研究の方法として、わたしが参照したのは、エドワード・サイード、エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフ、酒井直樹、林みどりなどである。そこでは、植民地ないしはポスト植民地状況における「主体」の形成を、植民地主義的な枠組みの一方的な受容ではなく、既存の認識枠組みをみずからのものにしようとする自己領有の過程において、支配者と被支配者のあいだの絶えまない衝突と合意-折衝-の過程においてとらえていくことをこころみた。折衝という概念は、内的な必然性によって統一されたあらかじめ存在する「主体」としての支配者と被支配者とのあいだにおけるやりとりを意味していない。そうではなく、折衝という行為が先行して、支配者や被支配者といった主体位置を絶えずつくりだし解体するのであり、力関係によって「主体」がその関係の効果=結果として出現するのである。しかしながら、折衝の過程において事後的に構築される「主体」は、けっしてその同一性を完全に獲得することはない。そこで「主体」は同一性ないしは全体性をうちたてようとする言説の絶えざる企図のうちにのみ跡づけられることになる。本論文が「主体」をかぎ括弧に入れるのはこのためである。
冷戦という特殊な状況において生まれた政策科学である≪地域研究≫は、≪植民政策学≫以来のエドワード・サイードのいうオリエンタリズム的関係において形成されている。そこで植民地とポスト植民地における「主体」形成は、植民地主義によってつくられたオリエンタリズムや人種主義などのカテゴリーを内面化しつつ、それをみずからのつごうのよいように利用する自己領有のプロセスをとおしてなされる。その意味において≪地域研究≫は、戦後の国際情勢のなかで偶発的に誕生した新しい国家において、国民創出の装置として、言いかえるならば国民的な「主体」化の参照項としてはたらくことになるのである。
マラヤ/マレーシアにおける国民的な「主体」化の参照項となったのは、≪プルーラル・ソサエティ≫という多義的な概念であるといえるだろう。それは大きく三つの解釈をふくんでいると考えられる。第一は、≪プルーラル・ソサエティ≫を、マレーシアの現状が≪均質な社会≫を達成していないこと、すなわち国民国家として統一されていないことを否定的に示す概念として解釈するものである。このとき現状を≪プルーラル・ソサエティ≫として認識することは、現状の危機を変革することをとおしてみずから国民となろうとする実践をみちびいていく。第二は、≪プルーラル・ソサエティ≫を統一された国民国家の一類型としての「多民族社会」ないしは「多文化主義国家」として解釈することである。そこでは≪プルーラル・ソサエティ≫は、達成されるべき国民国家の規範と考えられるのである。
以上の二つの「プルーラル」すなわち「多」という概念は、いずれも「統一体」すなわち「一」という概念をともなうものであった。すなわち「一」としての国民国家やその内部の民族集団などを不可避的に想定しなければならない。しかしながら、そうした全体性へと回収されない「多」を考えることもまたこころみられている。全体性が不可能であること、すなわち、「一」なるものが「一」をめざしつつ失敗するのであれば、全体性が複数ある状態としての「多」とは異なる「多」なるものを考えることができるという意味においてである。
本論文は、方法論について述べた序章、マラヤにかんする≪植民政策学≫を論じた二つの章からなる第1部、≪植民政策学≫を参照しつつみずからのものとしながら形成される「現地」の側の研究について論じたやはり二つの章からなる第2部、さらには第二次世界大戦以降のアメリカ合衆国を中心として成立する≪地域研究≫とそれを自己領有をしながらかたちづくられるマレーシアにおける≪自国研究≫をあつかう四つの章からなる第3部から構成されている。
序章では、はじめに述べたように本論文の主題である学問分野の成立と「主体」形成にかんする方法論的な考察をおこなったうえで、≪地域研究≫の成立にまつわる問題を論じている。第1部の第1章は、植民地時代における≪植民政策学≫としての≪マレー研究≫の転換を、イギリスによるマレー半島支配が本格化する19世紀末に見いだし、地理、歴史、言語、人種のそれぞれにかんする認識の枠組みの変化によって、後に国民的なものの「想像」を可能するような認識の枠組みが提供されることをあとづけるものである。第2章では、国民的なものの想像を可能にするようなもろもろの知の制度化のなされる19世紀末以降の時期に注目し、はじめてのまとまった≪マレー研究≫と評価される『マレー研究論集』について検討している。そこでは、『マレー研究論集』のまなざしが≪オリエンタリズム≫的姿勢に貫かれており、「マレー的なもの」が消滅の危機にあり、「ヨーロッパ」により保護されてその本来性が回復されなければならないものとして描かれていることが明らかにされる。
第2部の第3章は、≪植民政策学≫の時代に「現地」の人々が書いた「マレー語」にかんする二種類のテクストをとりあげて、≪植民政策学≫的な知-とりわけ「マレー的なものの喪失」という考え方-を領有しながら自国研究的なものが形成されてくるありようを分析したものである。第4章は、第二次世界大戦後にマラヤの独立が現実味を帯びてきたときに表出してきた「国語」にかんする「現地」の側の研究と議論をとりあげている。独立期の国語論争では、20世紀前半の≪植民政策学≫と、それを領有する第3章の「現地」の側の研究においては見ることができなかった、第3部の≪地域研究≫の時代へとつながっていく新しい認識装置としての≪プルーラル・ソサエティ≫論が登場している。この新しい現実認識の方法論をもって、これまでは存在していても社会の一部としてみなされることのなかった「移民」集団が国民統合の阻害要因として可視化されることになる。
第3部の第5章は、アメリカ合衆国を中心とした≪東南アジア地域研究≫の成立過程をあとづけるものであり、民間の調査団体で≪地域研究≫形成期において中心的な役割を演じた太平洋問題調査会をとりあげている。第6章は≪マレーシア研究≫における支配的な視点である≪プルーラル・ソサエティ≫について、その出発点となったJ・S・ファーニヴァルをとりあげる。ここでは、戦後の≪地域研究≫の展開過程において固定化されていく≪プルーラル・ソサエティ≫論の諸観点と、そのような固定化において抑圧されていく折衝の痕跡について論じている。
第7章は、≪プルーラル・ソサエティ≫論のマラヤ/マレーシアにおける≪地域研究≫的な展開を跡づけている。≪プルーラル・ソサエティ≫論は、マラヤ/マレーシアが「マレー人」「中国人」「インド人」の「三大民族」から成立する「社会」という固定的な見方を導入して、新たな抑圧と排除の構図を生みだしていくことになる。しかしながら同時に、「三大民族」というカテゴリーは、その固定化において、カテゴリーを汚染し攪乱する運動を絶えずかかえている。「先住民」にまつわる問題においてそのことが指摘される。第8章は、≪プルーラル・ソサエティ≫という≪地域研究≫的な知を自己領有しながら形成されるマラヤ/マレーシアにおける≪自国研究≫について論じている。はじめに≪プルーラル・ソサエティ≫的な見方が「現地」における制度となるようすを、マラヤ大学における「民族別」研究科の構想を中心にして跡づける。つぎに、≪プルーラル・ソサエティ≫論の「現地化」が、一方通行的で受動的な内面化ではなく、オリエンタリズムや人種主義との格闘をとおした自己領有の過程であったことを論じる。最後に、1980年代におけるエスニシティ研究の展開を中心にみながら、統一の欠如状態としての≪プルーラル・ソサエティ≫を超克しようとする態度が、さまざまな国民構想とともに、国民的「主体」化のプロセスを生みだしたことを明らかにする。終章は、グローバリゼーション状況が≪地域研究≫の前提である「地域」の自己充足性を問いなおしつつある現在にあって、全体性としての「地域」の不可能性という立場から≪地域研究≫をもういちど考察している。それは、けっして「一」に回収されることのない「多」をめざすものでもある。