日本語音声談話の韻律構造
佐々木(原)香織
本研究の最終的な目標は日本語音声談話における韻律構造を明らかにすることである。韻律構造というのは、主にイントネーションを中心とする談話全体の音調、つまり「話調」の構造とも言い換えることができる。従来「話調」の存在自体は先達によって指摘されていたが、科学的な言語研究の対象とみなされるまでには至らなかった。本研究は言わば、「話調」---これがもたらす漠然とした印象はしばしば主観的に様々な烙印を押される---の客観的記述を目指すものである。この目標を達成するため、本研究では三つの段階を踏まえることにした。
第一段階は、いわゆる「尻上がり」イントネーションの出現する談話を一つの「話調」例と捉え、これについての実証研究をもとにした社会言語学的分析を通して、談話においてイントネーション(のみならず韻律的諸特徴全般も含め)を扱うこと、つまり科学的に「話調」研究を行うことの重要性を示した。第二段階として、これまで十分客観的な類型化が行われてこなかった日本語の句末イントネーションの統計的手法による類型化を行った。これは日本語イントネーション記述方法の確立という意味においても重要だが、「話調」を客観的に記述していくためにも不可避の過程である。なぜなら、かなりの頻度で出現する句末イントネーションは「話調」形成に果たす役割が大きく、その影響が顕著だからである。そして第三段階として、第二段階で得られた類型方法に基づいた各句末イントネーション型が、談話ごとにどのような分布を示すか、つまり談話別のイントネーション型分布を明らかにした。これらの段階を経て、最終的には各談話種別の各句末イントネーション型分布に加え、「話調」形成に深く関わるポーズ、ピッチレンジ、発話速度などの韻律的要素を説明変数にして、12種の談話について因子分析を行い、各談話の全体的な音調、「話調」を客観的、物理的な数値によって明らかにした。「話調」が実測可能で客観的な記述に耐える存在であることを証明するとともに、それらの談話における韻律構造を明らかにすることができたと言える。
これらの各段階は本研究の各章と対応しているわけではない。したがって、以下に章別に概略を述べる。
第1章では、イントネーション研究と談話研究の歴史をたどり、これまでの日本語イントネーション研究では、イントネーションの記述方法が確立したとは言えない状況にあること、談話レベルでの社会言語学的研究が十分実証的に行われていないことを指摘した。そこでイントネーションを、「文」以上のレベル、つまり「談話」レベルに現れる音調であり、他の韻律的要素とも密接に関連した高さに関わる韻律的要素の一つであると再定義した。「談話」において他の韻律的特徴とともにイントネーションを捉えるということは、ある意味で、「話調」(ある談話に固有の言葉調子、全体的なフシ付け)に注目することでもある。そこで、本論文では「話調」を「ある談話場面における話者の何らか意図・情緒の表現に関わる、談話全体に現れる韻律的諸特徴の合成としての音調」として再定義し、これを科学的に解明することを提唱した。「話調」という概念はイントネーション研究に不足している談話レベルの視座及び社会言語学的視座を補う上でも重要である。その具体例として第2章でいわゆる「尻上がり」イントネーションを取り上げた。
第2章では、いわゆる「尻上がり」イントネーションの音響音声的特徴及び、談話文法上の機能について詳細に記述した。また、当該イントネーションが付加された発話に対する印象や使用場面、使用意識についてアンケート調査を行った。その結果、当該イントネーションのステレオタイプの存在が実証的に明らかになった。本研究ではその原因を当時の女性の社会進出と関連付けて社会言語学的に考察した。当該イントネーション以外にも「口調」や「言葉調子」など、談話音声が聞き手に与える漠然とした全体的な印象は、往々にしてステレオタイプの温床となり、言語バッシング(例えば「方言」撲滅運動や「ね・さ・よ」追放運動)を招くことがある。当該イントネーション非難にも他の言語バッシングに共通する面があると考えられるが、「話調」研究を通じて、このような言語と社会に関わる問題を切り結ぶことができるということを第2章で示した。
第3章では、様々な談話における韻律的特徴、「話調」を捉えるために不可欠な、句末イントネーションの類型方法を確立した。本研究では、イントネーション分類の際、客観性を最大限重視し、判別分析を用い、句末イントネーションを平調、上昇調、強調、昇降調、下降調、停滞調の6つに分類した。さらに、終助詞の有無によってもその音調を個別に記述した。統計上の分類と知覚上の認知がどの程度一致し、どの程度誤差があるかについては、今後知覚実験を行なって確認する必要がある。しかしこの方法は、計測可能な音声の物理的な数値をもとにしているため、測定基準を統一して計測すれば、インフォーマントを増やすことも可能だし、新たなイントネーション型を加えて再分類することも可能である。このような客観的な句末イントネーションの記述方法が確立したことで、談話ごとの句末イントネーションの現れ方(イントネーション型の分布)の比較が可能になった。
本論文では、ニュース、一般向け小説、子供向け童話の各朗読とアナウンサーによる番組司会、質問に対する医師の回答、討論番組での発言の6場面12談話について6種の句末イントネーション型の出現状況を比較した。平調や昇降調の出現率など各イントネーション型の分布の違いは、談話場面の違いによっても生じることが実証的に確認された。
第4章では第3章で明らかになった句末イントネーションの分布、特に平調、非平調の割合(出現率)以外にも、談話の調子、「話調」を形成する韻律的要素であると考えられるポーズや発話速度、ピッチレンジなどの物理的に測定可能な値をもとに各談話の音声面の特徴を明らかにした。そして、それらの数値を説明変数として先述の6種12談話について因子分析を行った。分析結果は各談話に対する筆者及び一般の聴覚的印象と比較的よく一致しており、漠然とした話し方に対する印象、つまり「話調」が測定可能な各種の韻律的特徴の集合として捉え得ることを証明した。
本論文で扱った資料は朗読とそれ以外の話し言葉に大別できるが、因子分析の結果でも朗読と話し言葉は第1因子の正負によってほぼきれいに分かれた。つまり第1因子がある意味で「朗読性」あるいは「話し言葉性」の指標となっていた。また第2因子はある種の「流暢さ」や「整然性」、「改まりの程度」などの指標となっていると考えられる。各象限別に見ると、第1象限には朗読で、総じて緩急抑揚の大きい文芸作品が集まり、第2象限は朗読で流暢かつ淡々、整然としたアナウンサーによるニュースと司会(男性アナウンサー)が、第3象限は話し言葉で比較的流暢な、整った(ある意味で大人の)談話、第4象限が話し言葉で緩急、抑揚が大きい(ある意味で「稚拙な」)高校生の談話が位置した。このように、印象や外形的な特徴で分類された「話調」は実際計測可能な数値によっても表すことが可能であることから、「話調」を科学的に扱えることを本研究で実証的に示し得た。
第5章では、はじめにイントネーション研究について総括する意味で、離散性の問題に関してプロトタイプ論の視点から検討を加えた。本研究で扱った知覚実験や判別分析の結果、及び他の実証的研究から、イントネーションの類型に際してプロトタイプによるカテゴリー化が有効であると確認できた。次いで、「話調」研究全体の総括として「場面論」や「日本語論」に関する視座の必要性について述べた上で、本研究の結論及び今後の課題と展望を述べた。
以下に本論文の結論を次の四点にまとめる。第一点は、現代日本語の句末イントネーションは、句末拍の各部分のF0値や拍の長さ、パワー値など物理的な数値を話者別に標準化した上で説明変数にすることで判別分析によって客観的に平調、上昇調、強調、昇降調、下降調、停滞調の6つに類型化できるということである。ただし、プロトタイプ論が指摘するようにそれらは必ずしも離散的ではない。第二点は、本研究では「昇降調」の一つに分類した、いわゆる「尻上がり」イントネーションの音響的特徴、機能的特徴、社会言語学的特徴を明らかにする過程で得られた結論だが、ある種の「話調」(話し方や口調)に対する一般のイメージや印象は、実際その「話調」が持つ機能とは別次元で決定され、しかも自分の使用意識と他人の使用に対する意識には乖離、不一致が見られる、ということである。つまり、一般的には自分の言語行動(特に意識されにくいイントネーションなど)には無自覚であり、それ故に他人の言語行動についても無意識のうちにある種の「偏見」を持ってしまう可能性が往々にしてあるということである。
そして第三点は、各種談話に独自の韻律構造、つまり「話調」は、現実に存在するものであり、計測可能なポーズや句の時間長、ピッチレンジ、イントネーション型の布置、発話速度だけによっても因子分析を通じて把握し、分類することが可能である、ということである。つまり、「話調」は漠然とした印象や分析者の主観のみに頼ることなく、科学的に扱うことが可能だということである。したがって、以上の三点から第四点を挙げるとすれば、日本語の音声談話の韻律構造は、それぞれの談話に固有の各種の韻律的諸特徴、つまり「話調」から、客観的に分類、記述、分析することが可能であり、それにより、それぞれの「話調」にまつわる漠然とした印象に基づく様々な「偏見」を質すことも可能である、ということである。通常、無意識に行われるコミュニケーションに関わる「話調」の研究は困難ではあるが、これは社会言語学の課題として避けて通ることができない重要な課題だと言える。